羽犬塚(はいぬづか)
九州の鹿児島本線 久留米駅から3駅下ったところに 羽犬塚(はいぬづか)という駅がある。羽犬塚駅は 福岡県筑後市の表玄関にあたる。私は高校を卒業するまで この筑後市で育ったが「羽犬塚」という地名が 妙な名前だとか 何かいわれが有るかなどと考えてみたこともなかった。今月末 小・中学校の同窓会が羽犬塚で行われる。「・・というわけでしばらく羽犬塚に行っています」と知人に話したら はいぬづかとは何処に在る?どんな字を書く?何かいわれが有るの?と 矢継ぎ早に聞かれた。所在地と漢字は即答出来たが 何故こんな地名になったのか そのいわれはと聞かれても全く知らない。
これは私の恥である。早速ネット検索せねばなるまい。検索の結果 いろいろな人が書いているが大体同じ内容なので要約してみよう。
天正15年(1587)天下統一をめざす豊臣秀吉が九州遠征にやってきたとき どこからともなく「羽の生えた空飛ぶ犬」が現れ秀吉軍を手こずらせた。とうとう秀吉自身がその犬を射止めたが「敵ながらあっぱれ」ということで それをこの地に埋め そこに塚(墓)を建てた。これを羽犬塚と称した。
この伝説にはもう一説あり 羽が生えたように敏しょうな秀吉の愛犬が、遠征中この地で死んだので 碑をつくり弔った。
この石碑は今も羽犬塚の宗岳寺にあり 町名「羽犬塚」の由来として次の様に書かれているそうだ。『もとこの地を葛野といった(延喜5年の延喜式駅馬の條に)のち天正15年 豊臣秀吉九州進軍の折 この地にきて羽のある犬が居て死んだ。それをこの地に埋め そこに塚(墓)を建てた。これを羽犬塚と称した。(全文は 言いたい放題掲示板に)』
羽犬伝説にあやかり JR羽犬塚駅前や国道沿いに羽犬のモニュメントがある。(私が筑後市に住んでいた頃には無かったと思うが・・)
上尾市今泉に「干菜山光明院十連寺」という寺がある。この寺名は 慶長18年(1613)徳川家康が鷹狩の道中 名もない小庵に立ち寄り名づけたと伝えられている。この様な話しは信じやすいが 「羽の生えた空飛ぶ犬」などは 俄かには信じ難い。豊臣秀吉軍に対して九州軍が 何か空を飛ぶ武器(昔では凧 今ならラジコン飛行機のようなもの)を使ったのかも知れない。しかし 伝説というのは不思議さを残した方が後世に伝わり易いから 下手な詮索はしないのを良しとするか。
―という訳で明日からしばらく「言いたい放題」は休みます―
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