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2004年2月28日 (土)

 青島 広志氏の本

 作曲家で指揮者でピアニストの 青島広志氏をご存知だろうか。12CHの番組「たけしの誰でもピカソ」の審査員で出演されているのを時々みかけるし NHKの「ゆかいなコンサート」にも長く出演されているそうだ。ちょっとトボケタ事を言うおっちゃん(失礼!)といえば あ~あの人か と思われる人もいるかもしれない。青島広志氏は音楽家としても優れた方だが 話術にもたけていて聞いていて大変楽しい。その青島氏が5年ほど前に本を出されている。

 本の題名は『ブルー・アイランド氏の プリマ《モ》とご相伴』。氏は いろんな方(音楽関係に限らず)と対談をされており その対談をまとめた本である。私は最近この本を買い求めたが読んでみると大変面白い。フィーリングが合うというか 一人一人の対談が短編集のように構成されていて いつでもチョットずつ読むのに適している。最近はトイレの友(笑)として愛読している。

 対談のゲストを紹介しよう。(敬称略) 森末 慎二 春風亭 小朝 中丸 三千繪 長谷川 陽子 橋本 治 篠崎 史子 豊田 喜代美 佐藤 允彦 水野 英子 池辺 晋一郎 フランソワーズ・モレシャン 谷川 俊太郎 鴻上 尚史 & 丹波 勝海 斎藤 昌子 & 熊倉 一雄 後藤田 純生 山口 多嘉子 北村 協一 栗山 文昭 友竹 正則 & 池辺 晋一郎(2回対談) の各氏である。

 目次には対談者の紹介、一人一人の対談の後には 対談内容に対する青島氏の思い出のような文章が綴られている。どちらも面白い。目次の一つを転載してみよう。

「篠崎 史子さん」現代音楽の第一人者、と言うとどこか男まさりの力強さをイメージしますが、とんでもない。このかたは、フランス人のエレガンス、アメリカ人の陽気なチャーミングさ、日本人のしっとりした情感のすべてを、自然に兼ねそなえているのです。すでに一家をなしていらっしゃるのに、謙虚な態度と、人生や音楽に対する厳しい姿勢は、後に続く人たちの指針となるものです。でも、「先生」と呼ぶのはやめて・・・私の方が身分は下なのですから。

発行所 (株)ショパン 1,800円+税 気に入ったら読んで見て。



青島広志氏 (左側)  東京オペラシティにて撮影

【平成13年10月25日記載分】

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2004年2月27日 (金)

 遺 伝 子

 【遺伝子】とは 広辞苑によれば『生物の個々の遺伝形質を発現させるもとになるもの。染色体中に一定の順序で配列され、生殖細胞を通じて親から子に遺伝情報をつたえる。その実体はふつうデオキシリボ核酸(DNA)分子で、細胞内で合成される蛋白質やリボ核酸の一次構造を指令する。』と書いてあるが今一理解しずらい。要は親から子へ体の形や性質などを伝える情報のことのようだ。

 新聞の報道やTV放送を見ていると 遺伝子組換の農産物、DNA鑑定による親子判定や指紋にかわる人物の特定、クローン羊や牛など良く目にする。これは遺伝子工学の発達によるもので 医薬品の開発、糖尿病やガンなどが遺伝的にかかり易い人の診断などにも利用されるようになったと聞く。特に予防医学の分野で益々貢献出来る技術の様な気がする。持って生まれた性質により未来にかかり易い病気がわかっていれば その病気にかかる前に予防すれば効果は大きいだろう。

 農医薬の会社 アリスタライフサイエンス(本社・東京)が 子牛の遺伝子を調べて成牛になったら乳をどれぐらい出すかを判定するビジネスを始めるそうだ。乳牛と肉牛では与える餌など育て方が違うため 畜産農家にとって子牛の時点で乳牛に向くかどうかを判定できることは効率的な牛の育成が可能になる。

 乳を出す牛は PIT-1 と呼ばれる遺伝子を持っており この会社ではベルギーの農業大学から PIT-1 の解析に関する特許を買い取って 年内に同大学と合弁でベルギーに遺伝子検査会社を設立し 来年中に北米や日本にも拠点を設けて検査を始める方針だそうだ。ちなみに 牛1頭の検査費用は2,500円程度の見込みとの事である。

 このように遺伝子工学の発達が我々の生活向上に寄与しているようだ。近い将来 子供の遺伝子で持って生まれた能力を調べるビジネスが出来るかもしれない。子供のうちから 音楽、絵画、文筆などの芸術的才能 医師、開発技術者などの理工系才能 野球、サッカーなどのスポーツ系才能などがわかれば英才教育が可能となる。でも 自分の子供が何の能力も無しと判定されたら夢も希望もなくなるか。

【平成13年10月24日記載分】

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2004年2月26日 (木)

 高速道路の事故

 JAF-MATE の記事 『昨年の4月26日 神奈川県川崎市内を走る東名高速道路上り線を1台の大型トラックが走行していた。走行車両の数はけっして少なくはなかったが 渋滞するほどではなかった。東京料金所を通過した大型トラックは前を走っていたトラックに連なるように三車線の中央車線へと入った。前を走るトラックが徐々にスピードを増していく。大型トラックも短めの車間距離を保ちながら速度を上げていく。

 2台のトラックが全体の流れに乗り始めたその瞬間、前を走っていたトラックが右のウインカーを出すと同時に パッと追い越し車線に移った。大型トラックの前方の視界が急に広がり1台の乗用車がその目に飛び込んできた。あっと言う間もなく グングンと自分の目の前に近づいてくる乗用車。「えっ、まさか停車しているのか?」予想だにしない停止車両の出現に急ブレーキを踏む大型トラック。

 時すでに遅かった。乗用車は大破し後部が炎上。後部座席の男性が死亡し運転席の男性は下半身を火傷するなどして重体。助手席の女性も胸などに怪我を負った。この悲惨な結果を招いた乗用車が中央車線上に停車してしまったのは、燃料切れ つまり「ガス欠」が原因であった。―以下略―』

 この事故の原因は 乗用車の「ガス欠」による走行車線内の停車と大型トラックの車間距離の問題である。高速道路では給油所の場所も制限される。ガス欠が予想される距離の給油所の手前1~2か所の余裕をもって給油する位の心掛けが必要だろう。高速道路の車線内で停車する事は死につながる事を肝に命ずべきである。

 車間距離は道路内で車間測定ラインが有るが 殆んどの車が安全車間をとっていない。前の車のブレーキランプに注意しておけば大丈夫という人がいるが 突然停車している車が有ったら追突すること間違いない。車間を取っていると割り込んで来る車が多く嫌な思いをするが 死ぬよりましだと思えば気にならない。

 高速道路でもし事故を起こせば自分の生命・人生を狂わすことは勿論 多くの他人まで巻き込んでしまう。注意しすぎる位の注意をしても行き過ぎはない。

 高速道路に限らないが 夕暮れ時に「おれは目が良いから未だライトを点けないでも大丈夫」という馬鹿が居る。ライトは自分だけが見るのではなく 他の車や歩行者に車の存在を知らせるために有る事を知らないような人に車を運転する資格はない。

【平成13年10月23日記載分】

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2004年2月25日 (水)

 カルロス・ゴーン氏

 日産自動車 カルロス・ゴーン社長は 経営再建3か年計画「リバイバルプラン」発表から2年経過したことで記者会見をし 有利子負債の削減などが順調に進んだ結果2002年度末を待たずに前倒しで再建がほぼ完了できるとの見通しを示した。完全復活には販売面での問題克服もあるが 実施から1年半の折り返し点で このような見通しが出せた事は驚くべき事である。

 日産自動車の2000年3月期利益は 6,843億円の赤字だったが2001年3月期には3,311億円の黒字に転換している。さらに2001年9月の連結中間決算の営業利益が半期では3期連続で過去最高となる見通しである。また2年前に1兆4千億円あった実質有利子負債も8千40億円まで減り 当初の目標 今年度末までに8千5百億円を既にクリアした。

 日産自動車は トヨタ自動車には及ばないものの 年間売り上げ 6兆円を超す巨大企業である。このような大企業が 1人の男 カルロス・ゴーン氏の出現で いとも簡単に(見える)変革出来たのか不思議に思える。いくら優秀な人間でも凡人の何百倍の知識・知能と行動力はないだろう。そのような1人の人間がこれだけの変革を成し遂げられたのは 他人の力をうまく集約して使ったに違いない。

 人も企業も 困難な事態に遭遇した時 それを打開する為にいろいろな方策を考える。しかし複数ある解決策のなかから どれを選べば良いのかを迷ってしまう事がある。個人の場合 友人や先輩に相談して良い方向を見い出す事が出来るし 自分で決断する事も比較的容易である。企業の場合でも各階層で種々解決策は考えられるが 各案に一長一短が有ったり それぞれ利害関係が有ったりして どの案を実施すべきかを決定するのに困難をきたす。

 以下私の独断的判断だが 要は ゴーン氏は既に社内にある有力な解決策を選別集約し 親会社から送られて来た権力と彼特有のカリスマ性で強力に押し進めたのだろう。特に過去のしがらみがないほど改革は実施しやすいものだ。勿論ゴーン氏の手腕は高く評価するが 彼が解決策の全てを考え出したとは思えない。

 日産自動車の改革成功を見ると 日本の政局もこの様にズバッと改革出来ないものかと思えて来る。どんな良い法案でも野党の党利党略や反対のための反対で潰れてしまうのを見ていると 総理大臣にもっと権力を与えれば良いとも思うが ヒットラーのようになられても困るか。

【平成13年10月20日記載分】

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2004年2月21日 (土)

 壬生(みぶ)義士伝(1)

 『昨夜(2月20日)の日本TVで 第27回日本アカデミー賞授賞式が放送された。最優秀作品賞を壬生義士伝が受賞。最優秀主演男優賞を壬生義士伝の中井貴一。最優秀助演男優賞を同じく壬生義士伝の佐藤浩市が優秀助演男優賞を三宅裕司、優秀助演女優賞を中谷美紀が受賞した。昨年1月に書いた「壬生義士伝」の紹介を再度紹介したくなった。』

 高校時代の友人と時々映画を見に行く。誘ってくれる友人が選ぶ映画は外れがない。前回は 中国映画「至福のとき」を見に行った。今度は 久しぶりに邦画時代劇である。明日30日に「壬生義士伝」(監督滝田洋二郎)を見に行く。直木賞作家・浅田次郎氏のベストセラー小説の映画化。新選組を舞台に無名隊士「吉村貫一郎」が仲間の隊士達から「守銭奴」と言われながらも家族を守って生き抜く様を感動的に描いた作品である。

 新選組で最も強いといわれた「吉村貫一郎」を主人公にした 浅田氏初の時代小説。かねて時代劇に意欲を見せていた 故 相米慎二監督が映画化を熱望し役所広司の主演で企画が進んでいた。一昨年9月相米監督は死去したが 遺族の意向もあり製作サイドは滝田監督に依頼し企画を継続。昨年1月に松竹のラインアップでいったんは滝田監督 役所主演を発表した。しかし 役所の考える主人公像と 原作に忠実なキャラクターを目指す製作サイドの意向に食い違いが生じ始めた。

 松竹の映画企画部長は「映画的な構成は気に入ってくれていたが 人物像のとらえ方がどうしても平行線をたどった。何度も話し合い お互い納得した上で〔またの機会をつくりましょう〕ということになった」そして「主人公の持つ切れ者の部分と 温かい面が引き出せる俳優」として 中井貴一に依頼。役所で発表されたことは知っていたが「こんな素晴らしい作品に巡り合うチャンスはまたとない。(役所は)気にしないで受けます」と即決。スケジュール調整に入ったという。スタッフも相米監督版とは一新され 中井に合わせて脚本も修正されたそうだ。

 1月18日 丸の内プラゼールにて「壬生義士伝」初回上映の後の舞台挨拶で 主役の中井貴一は 次の様な挨拶をしている

『下へ続く』【平成15年1月29日記載分】

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 壬生義士伝(2)

 「・・・とにかく映画っていうのは理屈で観るものではなくて娯楽だと思っております。劇場に足を運んでくださって2時間なら2時間の間笑ったり泣いたり あーすっきりしたなあと思ったり それで映画は存在しているべきだと思っておりますので これからもそういう映画を撮り続けたいと思っております。・・・」

 役所広司と中井貴一の映画に対する向き合い方の違いが良く出ていて面白いし 映画化までの経緯を聞いただけでワクワクする。松竹をはじめ スタッフの力の入れ具合が伝わって来て面白いに違いないという確信がわいて来る。

 現在 松竹系でロードショーが行われている。松竹のコマーシャルから引用して内容を少し紹介しよう。

 混迷する現代社会の汚れや悲しみを全て洗い流してくれるような 美しくかつ力強い感動作が誕生した。誰もが生きている限り 自分の胸に幾度となく問いかける言葉がある。「人はいったい何のために生きているのか?」『壬生義士伝』は その問いに一点の曇りもない瞳で答えられる男の物語だ。彼の短くも激しい一生を知った時 あなたは驚きのあまり言葉をなくすかもしれない。

 その男 名は吉村貫一郎。幕末の混乱期に 尊皇攘夷の名のもと 京都府中守護の名目で結成された新選組の隊士である。幕府の力が弱まるにつれ 明日をも知れない運命に翻弄される隊士たちの中で 貫一郎はただ一人 異彩を放っていた。名誉を重んじ 死を恐れない武士の世界において 彼は生き残りたいと熱望し 金銭を得るために戦った。全ては故郷の妻と子供たちを守るためだった。

 大義名分 権力 名誉。そんなものはどうでもよかった。愚直なまでに「愛する者のために生きる」。家族だけではない。友 仲間 心を通わせた相手のために貫一郎は生き抜いた。やがて「守銭奴」と彼をさげすんでいた隊士も気づき始める。この男の「義」は「人としての愛」なのだと。波瀾の運命をたどりながらも この見事なまでに純粋な生き方と出会う時 私たちはただ「まっすぐに泣く」ことでしか この感動を表現することはできない。

 原作は 浅田次郎の同名小説。1998年から2000年まで「週刊文春」に連載され 新選組の中では全く無名だった男を主人公にするという大胆な発想と どこか現代とも重なる幕末を必死で生き抜く男の姿が感動を呼び 大好評を得る。

『下へ続く』【平成15年1月30日記載分】

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 壬生義士伝(3)

 連載終了後 単行本化されるや否や 25万部を突破する大ベストセラーとなり 今なお幅広い読者層に支持されている。また 1月2日には テレビ東京系で渡辺謙主演による10時間ドラマとして放映され 長時間の時代劇としては異例の平均視聴率9.1%を獲得した。

 すでに多くの人に愛されているこの物語の映画化に挑戦したのは エンターテインメントの旗手『陰陽師』の滝田洋二郎監督。長大な原作の本質はそのままに 完璧に再構築した中島丈博の脚本を得て 真正面から男同士の友情と絆 家族愛を描ききり 血の通った魂のエンターテインメントを完成させた。また 映画音楽の巨匠『千と千尋の神隠し』の久石譲による情感あふれる旋律が胸をゆさぶる。

 キャストもこれ以上ないほど豪華な顔ぶれがそろった。主人公の吉村貫一郎には中井貴一。最初は貫一郎の純朴さを憎むが やがて惹かれていく斎藤一に佐藤浩市。日本映画界を代表する二人のこれが映画初競演である。貫一郎の幼なじみで南部藩の組頭大野次郎右衛門に三宅裕司。また 斎藤に愛される女 ぬいを中谷美紀が 貫一郎の妻しづを夏川結衣が演じ 物語に一層の深みと温かみを与えている。



  中井貴一    佐藤浩市    三宅裕司    中谷美紀     夏川結衣
 (吉村貫一郎)  (斎藤一) (大野次郎右衛門)  (ぬい)       (しづ)

            

 幕末の京都の片隅 壬生で産声を上げた新選組は 表向きには得意絶頂だったが 内部では崩壊が始まっていた。倒幕勢力が日に日に力を増し 新選組も各々の思惑に揺れていた。局長の近藤勇も一目置く斎藤一(佐藤浩市)は 皮肉な目でそんな状況を眺めていた。ある日 ひときわ腕の立つ男が入隊する。盛岡の南部藩出身の吉村貫一郎(中井貴一)だった。純朴な外見に似合わず その腕前は何人も人を斬ってきたものだった。斎藤は 新入隊士歓迎の席で お国自慢を始める貫一郎にうんざりし 詰所への帰り道でいきなり斬りつける。

『下へ続く』【平成15年1月31日記載分】

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 壬生義士伝(4)

 斎藤は本気だったが「死ぬわけにはいかぬ!」と叫ぶ貫一郎に気をそがれ「腕試しだ」とごまかす。いつ死んでもいい斎藤には「死にたくないから人を斬ります」と言う貫一郎が全く理解できなかったのだ。さらに貫一郎の侍らしからぬ一面があらわになる。隊規違反で切腹する隊士の介錯をした貫一郎は 刃こぼれが生じたからとお清め代のみならず刀代までも要求したのだ。貫一郎が金にこだわるのは 家族に仕送りするためだった。東北地方は長い飢饉に苦しみ 藩校の助教を務めるほど優秀だが 所詮身分は下級武士に過ぎない貫一郎もまた 貧困にあえいでいた。

 3人目の子供を身ごもり 入水自殺を図る妻のしづ(夏川結衣)を止めた時 貫一郎は脱藩して自分の剣で稼ぐことを決意。幼なじみで組頭の大野次郎右衛門(三宅裕司)の止めるのも聞かず 盛岡を後にした。流れ流れて新選組に落ち着いた貫一郎はしかし もう一度 盛岡の美しい山を眺め 愛しいしづと子供たちをその手で抱きしめることだけが望みだった。まさに水と油の斎藤と貫一郎だったが 貫一郎は斎藤の氷のような心の奥にある温かさに触れる。斎藤は吉原から身請けした身寄りのない女 ぬい(中谷美紀)と暮らしていた。貫一郎にぬいを「醜女」だと紹介する斎藤の眼差しには 思いやりと愛情があふれていた。

 ついに新選組の分裂は現実のものとなる。伊東甲子太郎一派が薩摩と組むために離脱することになった。貫一郎と斎藤は伊東に誘われるが 禄は倍を出すという申し出にも関わらず貫一郎はきっぱりと断る。脱藩で一度は裏切った義を二度は裏切れないと言うのだ。斎藤は伊東についていく。ただし新選組の間者として。首尾よく伊東一派を葬った新選組だったが もはや時代の勢いはとどまるところを知らなかった。京都守護職は解任され 大政奉還が成り 新選組の後ろ盾は全くなくなった。そしてついに新選組の 否 吉村貫一郎 斎藤一ら残された隊士たちの全てをかけた戦いが始まる……。

【さて この後はどうなるか・・・・・。原作を読んだ方は少し不満が残るかも知れないが 膨大な原作を2時間に詰め込むのだからこれで良しとすべきか。吉村貫一郎と大野次郎右衛門の友情をもう少し掘り下げて欲しかった気もする。いずれにしろ 時代劇フアンならずとも お薦めしたい一作である。ぜひ観て下さい。】

【平成15年2月1日記載分】

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2004年2月20日 (金)

 タ イ ミ ン グ

 私の作り話です。小学生のA君は同じクラスのB君が持っているキーホルダーが大変気に入っていた。このキーホルダーを使えば 今まで何回も無くして母親に怒られていた家の鍵の紛失もなくなると思えた。ある日思い切ってB君にキーホルダーをくれる様に頼んだ。B君は祖父から貰った大事な物だからと渋っていたが 鍵の紛失防止になるというA君の言葉に同情してキーホルダーをA君に渡した。

 B君は家に帰って話したら おじいちゃんが大切にしていた物だから他人にあげてはいけないと言われた。B君は次の日A君にキーホルダーを返してくれる様に頼んだ。ところがA君は一度くれた物だから返さないと言う。クラスの中の意見は男の約束でくれたのだしA君の役に立つ物だから返す必要はないという意見と そんな大事な物なら返すべきだと言う意見が半々だった。

 数日後B君の祖父が亡くなった。このキーホルダーはB君にとって祖父の形見となった。B君は再度A君に返してくれる様に頼んだ。しかしA君は自分にとって如何に役立つ物かを説明して頑として返さない。この時点でクラスの中の意見は 祖父の形見だから絶対に返すべきだという意見が大半になった。A君は内心返した方が良いかなという気持ちも有ったが クラスの皆んなから白い目で見られても今更返すとは言い出せない。特に2度目はキーホルダーの持つ意味が変ったのだから返すチャンスだったと後悔している。

 構造改革を掲げて小泉内閣がスタートした。その中の目玉として「国債発行額30兆円内」が明示された。これでは今後の日本経済が益々不況になるという意見も有ったが「構造改革なくして景気回復なし」の旗印のもとに小泉内閣は構造改革を押し進めている。その様な中でアメリカに於ける同時多発テロ事件が発生した。世界中の経済が混乱するという観測からニューヨーク株式市場をはじめ各国の株式市場が低迷した。各国は現在経済対策を強化している。

 小泉内閣は この期に及んでも「国債発行30兆円」を固持している。本当にこれで不況脱出は可能か。私は無理だと思っている。米国の同時多発テロを契機に経済情勢が大きく変ることは予測出来た。小泉内閣はこの時点で政策変更をしても前提条件が変ったのだから責任は追及されなかっただろう。絶好のタイミングを外した。今後政策を変更すれば 小泉内閣の大きな失点となり内閣存続さえ危うくなるだろう。

【平成13年10月14日記載分】

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2004年2月19日 (木)

 危機管理プログラム

 がけ崩れなどで人命が失われると 必ずと言って良いほど 前から危険を指摘していたのに国や自治体は何もしなかった との声が出て来る。なるほど人命が失われる位なら何で対策工事をしておかなかったのかと不信に思うが 危険度Aランクの場所だけでも一度に改修するとなると国家予算以上の金がかかると言われると何も言えなくなる。

 たしかに我々の周りには いろいろな危険が有る。予測出来る危険 予測出来ない危険とさまざまだ。少なくとも予測出来る危険に対しては国が対策をして欲しいと願うのだが これも予算絡みの問題となる。しかし直接の対策は出来なくても災害が起こった時や起こる事がじゅうぶん予知出来る時 何をすべきかという危機管理プログラムを作っておく事は膨大な経費はかからないはずだ。

 日本で狂牛病が問題になって政府をはじめ各団体が対応にほんろうされた。狂牛病に感染した疑いの有る牛1頭が発見されたとのニュースから狂牛病ではないことが判明したというニュースまで情報がコロコロと変る。ここで問題になったのは情報の伝達先とそのスピードである。

 要は この問題でも どういう場合 何をどうするといったプログラムが作られていないのだろう。突然の事で準備が出来なかったとは言わせない イギリスで狂牛病騒動が起きたのは 1996年の事である。厚労省では その間この問題について何をしていたのか。日本には絶対に狂牛病は入って来ない対策が取られていたのか。少しでも可能性が予見出来たら その対応策のプログラムを作っておく位 常識だし出来ないわけがない。これこそ行政の仕事だと思う。

 狂牛病騒動で牛肉に関わる企業は大打撃だろう。場合によっては倒産する企業も出てくるに違いない。この損失は誰が責任取ってくれるのか 業界の苛立ちの大きさが伺える。しかも食べ物に関することは多くの人の感情に染み込んで安全宣言が出されても牛肉の需要が急には回復しないだろう。それでなくても不況が深刻な世の中 一体どうなるのか心配である。

 テロ事件で世界は大きく動いている時 日本では今でも国会で対応策を協議している。日本でテロ事件が起きたらその後で国会を開いて対応策を協議するのだろうか。この国には危機管理プログラムの事前作成など望む方が無理か。

【平成13年10月13日記載分】

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2004年2月18日 (水)

 報 道

 新聞やTVでの報道を見ると その報道内容を大抵の場合信じる。人から少し怪しげな話を聞いて それ嘘だろうと言うと ほれ新聞のここに書いてあるよと見せられると 本当だなあ~と信じてしまう。TVの場合画像が主体だから 報道内容がリアルで人の感情をも揺さぶる程のインパクトが有る場合が多い。一流の新聞 一流のTV局の報道は 何のフィルターも通す事なく頭の中に飛び込んでくる。

 その点 個人のホームページの情報は まず疑ってかかる。画像処理技術が発達して タレントの顔とヌード写真を合成した様なのが平気で出て来る世界である。実は私も今月の初めニューヨークテロのねつ造写真を配信してしまった。所が初めから ねつ造写真との指摘を受けた。慌ててニュースソースをたどって行くと ねつ造写真である事がわかった。すぐに 訂正のお詫びを入れ事なきを得たが 最初から半信半疑の人ばかりで実害はない。

 ニュースソースが一流の通信社で メディアが一流の新聞社やTV局だと その報道はまず疑わない。その結果人々の感情に取り入り世論さえ動かしてしまう。ニューヨークテロの報道では この様なひどい事は許せない どんな犠牲を払ってでもテロを根絶すべきだと思う。反面 アフガンの空爆で子供達が犠牲になっている報道を見ると 理由はどうであれ 関係ない子供達が犠牲になる様なアメリカの行為は行き過ぎと思えて来るし 世論さえ そちらの方向へ動いてしまう。

 今朝の毎日新聞朝刊に次の様な記事が出ている。

 ロイター通信が配信し、9日付の本紙朝刊社会面に掲載された写真「8日、アフガンで空爆を受け、左足を失った16歳の少年」について、同通信は10日「少年は地雷を踏んで負傷したものだった。パキスタン側で治療を受けるために国境警備隊らに『空爆で負傷した』とウソをついていた」との記事を配信した。
---後略---

 この様な記事を見ると NGO(非政府組織・民間団体)がアメリカの空爆を受け死傷者が出たと言うニュースも?と思えて来る。アメリカの空爆が どんなひどい事をしているかと宣伝したい為 自作自演の爆破をしてアメリカに責任をなすり付けているのかも知れないと考えるのは不謹慎だろうか。

【平成13年10月12日記載分】

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2004年2月17日 (火)

 ノーベル賞受賞

 名古屋大大学院理学研究科教授の野依良治(のよりりょうじ)博士がノーベル化学賞を 米国の2人の博士と共に受賞する事が知らされた。授賞式はアルフレッド・ノーベルの命日 12月10日にストックホルムで行われる。王立スウェーデン科学アカデミー創立100周年に日本人として10人目の受賞ということで この上もなく目出度いことだ。今度の受賞が特に嬉しく感じるのは 受賞理由が私の様な凡人にも判りやすいからである。

 「キラル触媒による不斉(ふせい)水素化反応の研究」という事だが 簡単にいえば 有機化合物を合成する場合 同じ組成でも立体構造が鏡に映した様に反対の構造(鏡像体)を持つ化合物(キラル)が混在して出来る。ある医薬品を合成した場合このキラルに副作用が有れば医薬品として使用出来ない。これを金属を抱えた特殊な有機化合物(金属錯体)を触媒として使う事により一方だけを選んで作る事が出来るというものだ。この方法は医薬品に限らず 香料 調味料などの合成にも応用されている。

 この様な研究は私達の生活に密着していて好感が持てるが 数学の分野で受賞した内容などは何の事かさっぱり判らず 我々の生活にどの様な関係が有るのか想像もつかない。しかしコンピューターの発達は高度な数学のおかげだと言われれば なるほど私の預かり知らぬ所で役に立っているのだなあとは思える。

 今のところノーベル賞とは関係ないが 東京・三鷹の国立天文台で「重力波」を捉えようとする壮大な仕事が始まっているそうだ。「重力波」とは何か? 実は私にも判らない(笑)。宇宙を飛んでいる重力の波? ますます判らないが この重力波をとらえるために世界中がやっきになっており国立天文台でも 物凄い設備を作ったそうで重力波を捉える事は何か非常に役に立つ事だとは思える。出来たら私に判りやすく教えて頂けると有り難いのだが。

 この様に私には理解出来ない事が多くの研究者によって進められている。これらの研究が文明社会の向上に寄与しているのだとは思うが 東北石器文化研究所の前副理事長 藤村新一氏のように ねつ造してまで実績を上げたくなる様な考古学など我々の生活の向上にどの様な足しになるのか理解出来ない。

【平成13年10月11日記載分】

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2004年2月16日 (月)

 ブレーン ストーミング

 企業などで 新しい製品を企画したり 問題解決の方法を探る場合 ブレーンストーミングという手法を用いる場合が有る。直訳すれば脳の嵐といった所だが 5人前後の人を集めて会議形式で行う。進行役を1人決めるが 日頃の役職など関係なく ここでは皆同格として会議を進める。

 テーマは決まっているが 会議中の発言内容は何でも良い。実現不可能な意見 突っ拍子もないアイデア 既に周知のアイデア 他人が考えたアイデアの上乗せアイデア等も歓迎される。ただし他人の意見をさえぎったり反論 非難は固く禁じられている。

 人間は何も制約されない状況では いろいろなアイデアが出る。全く実現不可能なアイデアでも それをヒントに 次から次へとアイデアが出て来るものだ。そのうちに不可能なアイデアが他人のアイデアの積み重ねで実現可能なアイデアに近づいて来て素晴らしい案が生まれる。こうなれば成功である。

 週一回近くの本屋へ散歩がてら週刊誌を買いに行く。上尾市平方に有る ブックガーデン という本屋で駅から離れた田舎の本屋にしては大きい方で専門書も良く揃えてある。週刊誌を買いに行くついでに他の本も立ち読みして気に入った本が有ったら買ってくる。パソコン関係の本もたいていここで買う。

 今週は 森村誠一(作家) 堀田 力(弁護士)共著の「人生後半の愉しみ方」という本を買ってきた。人生も残り幾ばくもない私にとって後半とは多すぎる(笑)とは思ったが 少し立ち読みしたら これが面白い。早速買って来た。ちなみにPHP研究所発行で1,400円。

 堀田 力(つとむ)氏が「まえがき」に次の様に書いている。

 森村さんと話していると、実に楽しい。
 私がある考えを言うと、彼はすっとその話をからめ取って、その延長線上に、私が思いもよらなかった話を展開される。私の脳は、その話に実に心地よい刺激を受けて、脳の奥に潜んでいたに違いない新しい考えが、花がぱっと咲くように浮かび上がる。うきうきする思いでそれを話すと、また森村さんは、その花に調和するあざやかな別の花を、手品のように咲かせてくれる。--後略--

 本人達は意識されていたかどうかは知らないが この様な所にもブレーンストーミングの手法が生きている。それでなくても豊富な知識と経験を持った方々が この様に話を膨らまして書いたのだから この本が面白くない訳がない。

【平成13年10月10日記載分】

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2004年2月15日 (日)

 切 れ る

 「あいつは切れる奴だ」と言うと 決断が早くて物事を素早く処理してしまう人の事を言う場合と カーッとなって何をするか判らない人の事を言う場合と有る。同じ言葉で両極端の人格を言い表すのも面白いが 後者の切れるは感情のコントロールが切れる と言う事だろう。

 今日の話は後者の「切れる」である。私の人格もこの部類で重症だ。NHK-TV の「日曜討論」を見ていて 其野党の女性議員の発言を聞いていたら あまりに馬鹿馬鹿しい内容に段々と気持が苛立ってきた。まさかテレビを殴るわけにもいかないので黙って聞いていたが 直接面と向かっていれば きっと殴り付けるに違いない。

 会議の中などで極論を言う人が居る。皆で真剣に討議しているのに してやったりと云わんばかりに極論を言う。極端な例だが 交通事故による死者を減らす対策に付いて論議しているとしよう。そのような時 車を全面廃止すべきだと言う意見を述べる。車は人間の生活の一部になっていて廃止すれば産業構造から狂ってしまう と反論すると 人間の命は一番尊いものだから 何を犠牲にしても最優先にすべきだし あなたは人が車にはねられて死んでも仕方がないと思っているのかと来る。

 こんな極端ではないが TVでやっている論争も50歩100歩の様な気がする。賢い人は この様な馬鹿げた意見にも一つ一つ耳を傾けて根気よく相手を説得するが 私などカーッとなって手は出さなくても相手に暴言を吐き喧嘩になってしまう。勿論 結果が良い方向へ向かうわけはなく 後で冷静になって後悔した事は何十回となく有る。損な性格だと自分で思う。

 最近 幼児虐待死の記事が目に付く。原因は 言う事を聞かない等の些細な事である。恐らく親はその瞬間「切れ」て理性を無くしており 冷静になった時きっと後悔していると思う。この他にもカーッとなってやったという犯罪が多い。

 数十年前のTV放送で 米国だったと思うが カーッとなって数回殺人を犯したという女性が 本人の了承の基に脳の外科手術を受けその性格が和らいだとの話を聞いた。現在もっと進んでいるだろう脳外科でこの様な手術が出来ないものだろうか。もし性格形成に食物が関係しているとすれば 切れなくなる栄養剤なる物が出来ないだろうか。出来たら真っ先に希望したいし 希望者は多いと思う。切れる性格を一番直したいのは当の本人だからである。

【平成13年10月7日記載分】

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2004年2月14日 (土)

 国 会 論 戦

 衆参両院の各党の代表質問 衆議院予算委員会質疑とNHK-TVで毎日国会中継がされている。私は他に見たい番組がない時はBGMをかけている感覚で1chをつけている。気になる単語が出て来ると真剣に見るが 全般的に言える事は 何でこんなレベルの低い事を国会でやるのかとの感が強い。

 そんなの ちょっと廊下で話し合えよ! と言いたい内容。国民のために論争している感覚が感じられず ただ他党の揚足をとっているだけの論争。誰が聞いても時代感覚からずれていると判る論争。何で超高給取りが がん首揃えてやらなきゃならないんだ! もっとちゃんとした論戦をしてくれ! と言いたくなるのは私だけだろうか。

 特に気に入らない代表質問が有ったので取り上げたいが その前に私の判断基準としての考え方を簡単に述べて見たい。米国に於ける同時多発テロ事件で いろいろな論争が有るが 私はテロは米国だけが標的にされたとは思わない。民主主義 自由主義の全ての国が標的にされたと思っている。現に日本人も多数の人が犠牲になっているし 彼等の目的からすれば次は日本が標的にされる可能性も否定出来ない。

 米国の軍事行動に対して報復攻撃と言う人がいるが これも違うと思う。米国は今後のテロ攻撃を防止する為にテロ集団 テロ支援国を攻撃しようとしているのだ。仮定の事だが もしテロの次の攻撃目標が日本に向けられていたとしたら米国の軍事行動は日本を救う事にもなる。要は世界中の何処で起こり得るか判らないテロの攻撃に対しては世界中の自由主義諸国が一丸となって対処すべきだと思う。

 代表質問で野党の質問を聞いていると 米国が勝手に行う軍事行動に対して日本が支援するというスタンスが感じられる。この様な考え方では世界中から日本は取り残されるだろうし もし日本がテロの標的にされた場合どう対処しようとするのか。現に日本人も多数の犠牲者が出ている事など忘れてしまったのか。

 其野党の女性党首の質問で「自衛隊には危険なところにも行ってもらう」という首相の発言は 戦死者が出てもやむを得ないという意味か。というのが有った。人の命がなくなってもいいとは誰にも言えない。しかし私はその党首に聞きたい。もしあなたの家族が武器をもった賊に監禁された時 警察に助けを求めたら警察官を殉職させてもよいと思っているのか と言って助けに行かなかったらどうする。

【平成13年10月4日記載分】

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2004年2月13日 (金)

 車 両 盗 難

 かなり前の話になるが 私の知人が国産の高級セダンを購入した。納車の次の日 駐車場へ行った所 車が見当たらない。しばらく呆然としていたが盗難と気付きあわてて110番した。110番からの問いに対して 車のメーカー 車種 色は何とか答えたが 車のナンバーがわからない。昨日の今日で車のナンバーは覚えていない。書類は全て車の中である。慌ててデーラーに問合せたとの事である。この車は未だ見つかっていない。

 JAF-MATE 10.の記事によると 警察庁の調査では車の盗難件数は1989年~98年の10年間は 年3万5千件前後だったものが 99年は4万3092件 2000年には5万6205件 2001年は7月迄に3万7074件 これは前年同期比21.7%の増加だそうだ。この3年ばかりの間に 約2倍に増加している。

 なぜ急に増加して来たのかは知らないが住宅のピッキング被害と同じく「鍵物」の被害が増加している様だ。但し車の場合 鍵を付けたままで盗まれているのが約40%あるそうで これは本人の不注意と言わざるを得ない。この場合 その車が犯罪に利用された場合 所有者の管理責任が問われるケースもあるとの指摘がされている。車を離れる場合は少しの時間でも鍵を抜き取る習慣を付けないと思わぬ事態になりかねない。

 今の所 盗難に対しては自分で自衛するしか無い様だ。盗難防止グッズも色々な物が売り出されている。殆んどの物が1万円以上とかなり高額だが 特に高級車には保険のつもりで取り付けたほうが良いだろう。現在 盗難防止に最も効果的と考えられている電子式移動ロック装置「イモビライザー」も紹介されている。これは盗難手口で多い「キーの複製」に対して かなり有効な対策だそうだ。これは車両組み込み方式で今年の8月末までに4メーカー43車種に装着されているとの事である。イモビライザー取り付け車は一部の損保会社が車両保険料の割引を実施しているとの事で今後の本命になりそうだ。

 本来は犯罪を減少させる対策を強力に進めてもらわなければ困る。犯罪がこれだけ増えましたという数字だけを発表して 皆さん注意して下さいと言わんばかりの警察庁の無神経さにもはらが立つが 全ての犯罪が増加している中 予算カットで警察官の増員もままならぬ事情も理解出来る。当分は自分の事は自分で守るしかないか。

【平成13年10月3日記載分】

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2004年2月12日 (木)

 新聞折込広告チラシ

 新聞に折込広告チラシがどっさり入ってくる。特に土曜日 日曜日に多い。内容はご存知の通り種種雑多であるが スーパーの特売品の広告やバスツアーの広告などは重宝する。職を探している人にとって求人広告は参考になるだろう。また食堂関係の割引券付き広告も助かる。このチラシを情報源として活用されている方も多いと思う。

 しかし このチラシについて腑に落ちない事がある。全く同じチラシが複数入っているのである。はじめはチラシを仕分けする機械の不調で重なって入るのかなと思っていたが 良く見ると1枚ずつ裏返してあったり離れた所に入れてあったり明らかに同じ物を複数入れている事をすぐに悟られないような作為が見える。

 私も8年程前に ある目的でB5判の折込チラシを依頼したことがある。当時折り込み代は1枚3円で依頼する時3円×依頼枚数を支払う。10万枚入れると30万円かかる。勿論これにはチラシの紙代 印刷代は入っていない。もしこの複数折込が意図的に行われているのなら新聞販売店はぼろ儲けである。また依頼した広告主は折込代の他 紙代 印刷代も損した事になる。

 全部の新聞販売店がこの様な事をしているのか またこれが罪になるのかどうか私は知らないが 直接見る人に被害が無いので問題視されないのだろう。しかし私の性格から このような事は不愉快でたまらない。9月16日(日曜日)のチラシを全部そっくり取ってある。その内訳を書いてみる。

全く同じチラシが
4枚:ヒロックス
2枚:サンシティホーム 、きでん 、いなげや 、日弘 、ツームワン
    ギガス 、求人ジャーナル(大) 、求人ジャーナル(小) 、ユメックス
1枚:11種

 33枚のチラシが入っていた。もし1種1枚ずつなら21枚で済むところである。つまり12枚分の折込料が新聞販売店の余計な収入となっている(57%増)。 あなたはこのような事 許せると思いますか。

【平成13年9月29日記載分】

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2004年2月11日 (水)

 電 波 時 計

 放送関係で働いている人以外 日常生活の中で秒単位の生活をしている人はまず居ないだろう。私などは秒どころか時間 曜日 月さえ気にしないで生活している事が多い。10数年前 柱時計(電気時計)が1ヶ月10分程進む様になったので時刻を修正するのが面倒臭くなって買い換えた。

 新しく買ったのはシチズンのクオーツ(水晶振動子)時計で1年間に5秒遅れるだけである。この状態が今まで10数年間続いている。普通クオーツ時計は月差20秒以内と言われており この時計はかなりの当りといえよう。1年間に5秒の誤差というのは 0.006% 1kmを測定して6㎝の誤差が出るのと同じ程度だ。

 前にも書いたように秒単位の生活などしていない。しかしTVやラジオの時報のとき時計を見ると2~3秒狂っているだけで妙に気になる。秒など全く当てにならない時計の時は気にしなかった事が新たな悩み事になった。気になると次の時報時に秒針まで合わせてしまう癖がついた。1ヶ月に1度合わせれば常に誤差1秒以内となり満足出来る。

 こうなって来ると秒単位の時刻が大事なのではなく時計が秒まで合っているかどうかが問題なのである。最近 電波時計が普及して来て価格も安くなり安売り店では2~3千円で買えるようになった。我が家でも今年の正月に2台の電波時計を買った。これで神経質に時計を合わせる楽しみは無くなったがいつ見ても秒単位で正確なのは気持ちが良い。

 電波時計は日本標準時を知らせる「標準電波」を時計の内蔵アンテナで受信し誤差を自動的に修正する。我が家で買った2台とも毎時から5分間電波を受信して誤差を修正する。但し電波の状態が悪いとエラーを起こす。しかし1時間に1回トライするので数日間エラーが続かないかぎり問題ない。標準電波は電波ノイズに弱い。鉄筋アパートに住んでいる場合なるべく窓の近くに置いた方が良さそうだ。パソコンの近くに置くのも良くない。パソコンはノイズ発生源の主たるものである。

 利用している標準電波は郵政省通信総合研究所が99年6月から福島県の大鷹鳥谷山(おおたかどややま)の送信所から発信している。今年10月1日から福岡県と佐賀県の境 羽金山からも送信される事になっており ほぼ全国をカバーする。これで日本人は秒単位のセセコマシイ生活をする準備が出来た(笑)。でも時計業界の時計を買い換えさせる策略の様な気もするがどうだろう。

【平成13年9月28日記載分】

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2004年2月10日 (火)

 上尾中央総合病院新館

 平成13年5月 上尾中央総合病院の新館がオープンした。10階建で 1階は外来受付診療 2~3階は手術室 レントゲン室などの施設 4~10階は入院用病室となっている。1階の待合室は広々としており今までの狭苦しい病院のイメージは無い。先週の月曜日から9階の病室に9日間入院したので内部を少し紹介しよう。



写真 1.病室間の広い廊下。ベッドがすれ違っても充分の広さが有る。
  2.明るい食堂。歩ける人は ここで食事する。
  3.4人室の1人分のスペース。TV冷蔵庫が付ており各室にトイレ 洗面所が有る。
     但し1日 2,000円の差額ベッド代は ちとつらい。



写真 4.広いエレベーター前。ベッドが数台待っても充分な広さ。
   5.2台のエレベーターがダンゴ状態で動いている事が多い。
     ダンゴ状態解消システムが採用されてない様だ。(三菱エレベーター)
   6.1階待合室の椅子は緊急災害時にベッドとして使える様出来ている。



写真 7.1階玄関右には坪庭が有り小さい滝と池が有る。池にはメダカが泳いでいる。
   8.4階食堂脇には 洒落たオープンデッキが有る。
   9.天気の良い日は富士山が綺麗に見える。(9階食堂より)

 私が接した看護婦さんをはじめ従業員の皆さん 皆礼儀正しく親切だった。大病院の傲慢さは全く感じられない。教育が行き届いているのだろう。院内の備品も見事に配置されている。ゴミを捨てたくなる場所にはゴミ箱が有るし手を洗いたい場所には洗面台が設置されている。行動科学を実践されているようだ。入院していた9日間快適に過ごすことが出来た。病気で入院しているという暗さを感じさせないよう配慮されているのが何より嬉しかった。

【平成13年9月27日記載分】

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2004年2月 9日 (月)

 大 腸 ポ リ ー プ

 大腸ポリープの摘出手術を受けた。大腸ポリープをご存知ない方のために・・大腸に出来るイボの様なものである。手術は内視鏡で出来るので開腹手術の必要はない。 1~2ヶのポリープを取るだけなら数十分の手術で終る。参考のために どの様なものか紹介してみよう。

 大腸ポリープが出来やすいのは体質によるらしい。私は体質的にポリープが出来やすいらしく数多くのポリープが有る。しかも段々に育って行くので定期的に摘出手術をしなければならない。なにせ大腸の中は肥やしが効いていて良く育つ(笑)ポリープが10㎜以上だとガンになる確率が高くなるので8㎜以上になれば摘出した方が良いとされる。

 4年前に摘出手術を受けドクターから2年に1度は検査する様に言われていたが特に体調が悪いわけでもないので ずるずると今までほっておいた。案の定よく育っていて今回の手術では取りきれず2~3ヶ月後また再手術である。1回の手術では10ヶの摘出が限度だそうで 今回8ヶを摘出して一応終りにした。ドクターの言う事は良く聞くべきだと反省しきりである。

 まず下の写真1.を見て頂きたい。内視鏡で見た私の大腸の中である。よくお前は腹黒いと言う奴がいるが ご覧の通り黒くない(笑)。

 写真2.にポリープが写っている。このポリープの根元を針金で縛り針金に高周波電流を流してポリープを焼き切る。焼き切る時針金の近くが焼けて白くなりポリープがポロッと取れる。腸の中は神経が無いらしく麻酔の必要はない。取れたポリープは回収してガン細胞が無いかを調べる。

 切り口を引っ張り出してクリップ(金属製)で留め 止血する。写真3.この技術はここ2~3年前から使われたようで前回の手術では無かった。クリップは傷が治ると便と一緒に排泄される。

     1.大腸の内部         2.ポリープ          3.クリップ



 何も症状がなくても 30歳を過ぎたら 一度検査を受けてみる事をおすすめしたい。

【平成13年9月26日記載分】

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2004年2月 8日 (日)

 大 河 の 一 滴

 1998年4月に出版され 200万部の大ベストセラーとなった「大河の一滴」。エッセーだった原作を著者の五木寛之氏自身が物語化し映画化が実現した。私は未だこの映画を見ていないが 原作者の五木寛之氏は 私の郷里 福岡県八女(やめ)の先輩であり 人一倍関心がある。

 すでに映画を見た方 原作を読まれた方も多いだろう。彼の人間を鋭く見つめる目には読んでいて陶酔するものが有るし 人の生き方への良い指針になる事は間違いないと思う。彼のこの様な感性は彼が過ごした少年から青年時代の経験から培われたものであろう。五木寛之氏は太平洋戦争の激動の中で多難な少・青年期を過ごしている。今日は年表風に作家活動をされるまでを紹介してみよう。

1932年(昭和7年)9月30日、福岡県八女郡で長男として生まれる。両親は教師。
1935年(昭和10年)3歳、父の勤務の関係で朝鮮半島に渡る。
1945年(昭和20年)13歳、平壌第一中学校に入学し8月に敗戦を迎える。9月にソ連軍が進駐。混乱の中 母が死亡。その後抑留生活をさせられる。
1946年(昭和21年)14歳、何度かの脱出失敗を経て 10月に戒厳令下の平壌からソ連軍のトラックを買収して脱出。38度線を越えてアメリカ軍が開設する日本人難民キャンプに収容される。
1947年(昭和22年)15歳~、春に引き揚げ筑後地方を転々とし八女中学へ転入。
1952年(昭和27年)20歳~、福岡県立福島高等学校を卒業 早稲田大学露文科に入学。上京直後は 穴八幡や田無神社の床下をねぐらにしていた。アルバイトで生計をたてながらゴーリキやトルストイ、ドエトエフスキーなどの作品を読みあさる。金に困って売血をした事も。この頃 父が結核で死去したが 旅費の工面がつかず帰郷できなかった。
1957年(昭和32年)25歳~、授業料未納のため 6年間在籍した早稲田大学に抹籍届を出す。
-中略-
1965年(昭和40年)33歳、6月 すべての仕事を整理してソ連・北欧を旅行。8月に帰国した後金沢に住む。精神科医である五木玲子氏と結婚。『さらばモスクワ愚連隊 』を執筆。
1966年(昭和41年)34歳、『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞を受賞し作家生活に入る。

 「大河の一滴」を読んでない方は 最初の一部を紹介したHPが有るのでここからぜひ見て下さい。

【平成13年9月16日記載分】

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2004年2月 7日 (土)

 宗 教 観

 宗教の違いによる紛争は古くから幾多繰り返されている。イスラム教徒を討伐するために西欧諸国のキリスト教徒で編成された十字軍は11世紀末から13世紀後半に至るまでに7回も遠征している。その目的は聖地パレスチナ、特にエルサレムの回復であったが この長い戦いにもかかわらず当初の目的は達成されていない。

 同じキリスト教内でも ヨーロッパ近世の初頭 ローマ・カトリック教会の弊害に対して改革を企て 分離してプロテスタント教会を設立した宗教改革でも 旧教徒と新教徒の間で 虐殺、暗殺などを伴う激しい戦争が行われている。現在のイスラエルとパレスチナの紛争もその根底は宗教の違いが原因だろう。

 日本でも最近の事で忘れる事が出来ない事件としてオームによるサリンでの地下鉄内無差別殺人が有ったが 宗教家に言わせれば恐らくこれは宗教と関係ないと結論付けらけるだろう。古くは僧兵による紛争も有ったが世界史に残るほどの事はない。

 日本人の大半は仏教徒でありながら生まれた時や七五三、初詣等は神社へ参拝する。結婚式はキリスト教徒でもないのに教会で行う。葬儀になると仏教でお寺のお世話になる。敬虔(けいけん)な宗教の信者にとって理解の出来ない事であろう。日本人のこの様な宗教観は日本の宗教の由来に起因するものと思われる。

 世界の三大宗教といわれるキリスト教、仏教、イスラム教は それぞれ教祖的な指導者のもとに 教義、経典を持ち組織的に発展した。これらに対して 日本古来の神社は自然発生的な自然信仰として発展し はっきりした経典も指導者もなく 祀られる神も多種多様である。中世以降仏教をはじめ他宗教が伝来したが 日本人の古来からの宗教観の大らかさから異宗教を共有してしまったのではないだろうか。

 この様な日本人(全てとは言わないが)の宗教観からは歴史上の宗教戦争、イスラエルとパレスチナの紛争、アメリカで起きた同時多発テロ事件等の真意は理解出来ない。これらの出来事を単なる一部の狂信者たちの暴挙と判断するならば 今後のテロ再発防止の対策も的を射ることは出来ないような気がするがいかが。

【平成13年9月14日記載分】

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2004年2月 6日 (金)

 自 動 翻 訳

 無料で自動翻訳が出来るサイトが増えてきた。しかしコンピューターが翻訳するので表現が機械的で今一である。一応内容が把握出来るから重宝するが 和→英 に翻訳する場合 日本語の文法がでたらめだと満足な英訳は出来ない。試しに下記の文章を英訳し その英文をそのまま和訳してみた。あなたは満足出来るレベルでしょうか。

『リンクを張りたい方、メール送信フォームに必要事項を書き込んでください。担当者がサイトを確認する場合がありますので、本文中にURLを必ず記入して下さい。(URL未記入の場合は、正規の書き込みとはなりませんのでご了承下さい。)書き込み後10日以内に、担当者からの連絡がない場合には、リンクを張ってくださって結構です。また、その際には、リンクボタンのデザインは下に示した指定のものを使用してください。』

『Please write a required matter in mail transmitting form the direction which wants to stretch a link. Since a person in charge may check a site, please be sure to fill in URL into the text. (In [ URL ] not entering, please understand that it does not become regular writing.) It stretches a link and is splendid when there is no connection from a person in charge within ten days after writing. Moreover, in that case, the design of a link button should use the thing of the specification shown below.』

『メイル送信で必要な問題を書いてください、リンクを伸ばしたい方向を形成します。担当の人がサイトをチェックしてもよいので、テキストへURLに必ず書き入れてください?B(入力していない[URL]では、記述が規則的にならないと理解してください。)それはリンクを伸ばし、記述の後に10日以内に人からの接続が担当していない場合、壮麗です。さらに、その場合では、リンク・ボタンのデザインは、下に示された明細のものを使用するべきです。』

 かなりひどい内容になってしまいました。一般の手紙文ではもう少しまともな文章になります。使用したのは「excite翻訳」です。試してみて下さい。Nifty翻訳もあります。

【平成13年9月10日掲載分】

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2004年2月 5日 (木)

 関 門 ト ン ネ ル

 読売新聞の「ろまん紀行」に関門トンネルのことが出ている。私は福岡県出身のため関門トンネルには随分お世話になったし 色々な思い出も多い。今は新幹線で東京から博多まで5時間弱で行けるが 私が学生の頃は在来線の急行で約24時間 特急でも20時間近く掛かっていた。電化されていたのは米原-東京間で博多-米原間は蒸気機関車だったが関門トンネルの中は排気ガス・煙の問題で電気機関車で引くために門司駅と下関駅で機関車の付け替えをしていた。

 学生の頃は帰省するのも貧乏学生で寝台車などには乗れず4人掛けの普通席だったが 他の3人とは他人ながら10時間以上も顔を付き合せているので旧知の間柄の様に親しくなる。ある時母親と小学生の男の親子と同席になった。男の子は関門トンネルを通るのは初めての事で私に関門トンネルの事をしきりに聞いてきた。

 私も茶目っ気な学生だったのでジョークのつもりで関門トンネルはガラスで出来ており海に泳いでいる魚が見えるよと言ったら すっかり信じて関門トンネルを通るのを楽しみにするものだから 母親と共にこの話が冗談だと説明するのに骨が折れた事を思い出す。もう一つ思い出、 というより今でもそうだと思うが 東京から下関までは車中の会話は標準語が主流であるが関門トンネルを過ぎると突然九州弁が主流になってしまう。面白い現象である。

 「ろまん紀行」の中から雑学として関門トンネルの歴史を抜粋しよう。関門海峡をトンネルで結ぶ構想は1896年(明治29年)に全国商業会議所連合会が「鉄道隧道建設」を帝国議会に誓願している。1936年(昭和11年)「豆トンネル」と呼ばれる試掘導坑の掘削を鉄道省が開始した。一方内務省が翌年から別ルートで国道トンネルの調査工事を始めた。

 「豆トンネル」は鉄道、国道とも1939年(昭和14年)に貫通した。鉄道トンネルは1942年(昭和17年)下り線が開通、2年後に上り線も開通し「世界初の海底トンネル」が開通した。国道トンネルは終戦により工事が中断し1952年(昭和27年)に再開されたが鉄道に16年遅れて開通した。

 国道トンネルは車道の下に人道が作られ徒歩で通る事が出来る。徒歩約15分の道のりだ。料金は徒歩は無料、自転車・バイクは20円となっている。その後新幹線用の新関門トンネル、高速道路用の関門橋と作られ本州と九州は陸続きと全く同じ感覚になっている。

【平成13年9月9日掲載分】

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2004年2月 4日 (水)

 日 本 に カ ジ ノ

 日本テレビの ウェークアップ! を見ていたら日本にカジノを作る話が出ていた。石原東京都知事のお台場にカジノを作る案は知っていたが日本中でカジノを作る案が有るらしい。番組では秋田と宮崎のカジノ誘致案が放送された。カジノ誘致を考えている人達の意見とそれに反対する市民の意見も放送された。

 カジノ誘致の動機は何れも経済的観点からの様だ。日本カジノ学会(この様な学会が有るとは初めて知った)の試算では日本に130ヶ所のカジノを作ると
 売  上  30兆円
 雇  用  30万人
 周辺産業 150兆円
 税  収  7.5兆円
との事である。どうも捕らぬ狸の皮算用の様な気もするが経済効果が大きいのは確かな事だろう。

 私はギャンブルが好きである。ギャンブルのスリルは遊びとしては最高だと思う。でもギャンブルで儲けて大金持ちになろうなんて考えた事は無い。ギャンブルで金持ちになる事など確率的に無理である。たまたま宝くじで3億円当てた人も居るだろうが宝くじとて確率的には損するように出来ている。

 日本には既に多くのギャンブルが存在する。競馬、競輪、競艇の様な公営に パチンコ、スロットと街中ギャンブルだらけの感じがする。カジノもギャンブルという遊びの選択肢が増えて ラスベガスの様に皆がギャンブル以外でも楽しめる場所が出来そうな気がするがどうだろうか。

 番組でカジノへの市民団体の反対意見として「一攫千金を夢見て通う大人の姿を見る子供たちへの悪影響」というのが有った。しかし私はそうは思わない。世の中には子供に悪影響を与えそうな事象はギャンブルに限らず沢山ある。その様な社会の中で物事の良否の判断が出来る感性が生まれてくると思う。奇麗事ばかり見せられた子供が果たして世の中でひとり立ち出来るのか疑問に思う。

 むしろ問題なのは利権に群がる連中ではないだろうか。ギャンブルには暴力団が付きものの様に言われるが古くはアメリカの禁酒法時代のマフィアの関与 最近ではパチンコ換金禁止の頃の暴力団がらみと むしろ禁止事項が多いとかえって地下に潜る悪事が増える。カジノが法的に認められればこの様な事態も少ないと思える。残る心配事は特殊法人、公益法人といった役人の悪の温床になりかねない法人が増える事であろう。ギャンブルでお金を取られて役人にまでかすみとられたらたまらない。

【平成13年9月8日掲載分】

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2004年2月 3日 (火)

 食 わ ず 嫌 い

 木曜日の夜フジテレビの番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の中に「食わず嫌い」というコーナーが有る。有名人2人がそれぞれ4~5点の料理を食べるが 好物の中に一点だけ嫌いな食べ物が含まれている。その嫌いな食べ物も含めて平然と食べてお互いの嫌いな物を当て合うという たわいも無い番組である。

 とんねるずも1人ずつ有名人に付き 突っ込みトークで相手の嫌いな食べ物を白状させようと躍起になる。この辺りが番組の面白い所だろう。出演者は俳優が多く演技力で嫌いな物も美味しそうに食べるから なかなか当らない。たまにはタレントの勝俣のように食べた途端ウェーウェーと言ってしまいバレバレの事も有るが これはまたこれで面白い。

 本来「食わず嫌い」と言うのは見た目やにおい等から嫌いと思い込み一度も食べた事が無いのに嫌いと思っている事を言うが「好き嫌い」と言うより「食わず嫌い」の方が番組的にインパクトが有るのだろう。

 私は子供の頃 戦後の食糧難時代を過ごしたので殆んど好き嫌いが無い。駅弁の蓋に付いたご飯粒を一つ一つ取って食べるのも私の年代に多い。でも嫌いではないが あまり食べたくないなあ と思うものはある。鶏肉、うなぎ、さつま芋の3点である。

 子供の頃田舎に住んでいて当時どこの家でも「にわとり」を飼っていた。正月、お盆、誕生会、○○会と事有るごとに この鶏がご馳走となった。鶏小屋から適当に太った一匹を捕まえて来て縄で首をくくり天井からぶら下げて毛をむしるのが子供の仕事だった。半分毛をむしった所で逃げられて大捕り物になったエピソードもある。

 やはり子供の頃 近くに「矢部川」が有った。結構大きな川で子供でも簡単な道具(ウナギウケと言っていた)でうなぎが捕れた。ある時兄が電気仕掛けでうなぎを捕る道具を作り大量のうなぎが捕れた。これは後で警察に厳重注意を受けてしまった。天然うなぎを とにかく良く食べていた。

 さつま芋は戦後の食糧難時代の主役だった。主食にまではしなかったが腹が減った時のおやつは さつま芋と決まっていた。こう考えてみると人間一生に食べられる量は決まっているのではないかと思えて来る。鶏肉も うなぎも さつま芋も子供の頃一生で食べられる量を食べてしまったのかも知れない。でも米は未だ食べあきないところをみると 勝手な言い分かな。

【平成13年9月6日掲載分】

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2004年2月 2日 (月)

 埼玉国体の思い出

 2004年 第59回国民体育大会「彩の国まごころ国体」が埼玉県で開催される。国体が埼玉県で開催されるのは昭和42年の第22回大会以来37年ぶりの事である。この国体については未だ開催までに日時が有るので後で紹介する機会が有るだろう。今日の国体での思い出は34年前に開催された第22回国体の しかも派生事項である。

 当時私が勤務していた会社は、増加する製品需要に対応する為に埼玉県戸田市に最新鋭の工場を建設し移転した。工場が稼動を始めてしばらくして埼玉国体が開催された。国体に出席された皇太子殿下(現 天皇陛下)と 美智子妃殿下(現 皇后陛下)が国体開会式の後 工場を見学される事になった。

 会社では万全の構えでお迎えした。幸い新築の工場であり見栄えは良かったが 特に応対の失礼の無い様何回も事前打ち合わせをした。聞くところによれば お出しするお茶用の水質検査も事前に行われたとの事である。当日は 今はなき当時のオーナー社長が工場を案内した。

 当時は私も若僧で玄関に並んでお迎えした。軽く会釈をした状態で絶対に見てはならないという命令を少し無視しチラッとお姿を拝見した。今でもその時の情景を思い出せる。失礼な言い方で申し訳ないが 美智子妃殿下の美しさと気品には圧倒される感じがした。

 工場内ではちょっとしたアクシデントが有ったそうだ。少し専門的になるが 弱電機器に電解コンデンサーという部品を使う。電源の極性が有ってプラスとマイナスを間違えるとパンクするといって アルミケースが破裂してバーンという音がする。当時は手作業で部品を取り付けていたので この様な間違いは皆無とはいえないが滅多に起きるトラブルではない。

 そのトラブルが工場を案内している丁度その時起きたのである。パーンという音とともに警護の方が殿下と妃殿下の周りを取り囲んだそうだ。私は品質管理関係を担当していたので後でコッピドク怒られたのを覚えている。

 全社員に記念品が配られ 玄関には社長が案内している大きな写真が掲げられた。日本経済がモータリゼーションの伸びと共に大きく発展していた良き時代の思い出である。私にとって一番仕事に熱中出来ていた時代でもあった。

【平成13年9月2日掲載分】

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2004年2月 1日 (日)

 激安日帰りバス旅行記

 昨日(平成13年8月28日)早起きをして 久しぶりにバス旅行に行った。東京湾アクアライン「海ほたる」で休憩との内容に「海ほたる」へは1度も行った事が無いので行く気になった。そのバス旅行は「房総あわびの踊り焼きとスイカ・メロン・もも食べ放題日帰り」と云うもので料金は1人消費税込み 5,500円である。安い! これで あわびの踊り焼きときた。

 最終集合地の大宮で客を乗せて岩槻から高速道路に乗り一路房総半島へ。ところが道路が混んでるとの理由で突然予定変更。行きに 東京湾アクアラインを通る予定が帰りになる。おいおい「海ほたる」で夜になっていたらどうする。と思ったが添乗員の判断だ任せた方が良い。常に客の時間配分を気にしながら最良の方法を選ぶのだろう。

 最初に昼食場所「浜金谷」へ まあまあの食事である。昼食中の声「あわびが小さいわよ、とこぶしじゃないの」「あわびは食べ放題じゃないのか」 ちょっと皆さん あわびが食べ放題なんてパンフレットに書いてないし・・読み方によってはそう取れるか・・一体いくら払って来たんだよう(陰の声)でもワカメの炊き込みごはんは食べ放題だった。

 次に「スイカ・メロン・ももの食べ放題」の 富浦道の駅へ。まあ~良く食べる。ここは「セークスピア カントリー パーク」としてテーマパークになっている。聞いた所 町おこしの為に15億円をかけて作ったのだそうだ。これは町の年間予算をはるかに超えている額だそうで過疎地対策の補助金をもらって町が作り第三セクターで経営している。テーマパクを作る場合 何をテーマにするかによって成功か否かが別れる。ここのテーマは成功だったのだろうか。???である。

    セークスピア像       庭園から建物を写す      館内展示の一部



 小西酒造の酒の試飲を経て 待望の東京湾アクアライン「海ほたる」へ。夕暮れ時に差し掛かり 幻想的な風景を堪能出来た。でも高い通行料を払ってわざわざ行くような所ではない。今回の激安バスツアーで行って大正解だ。バスの運転手さん バスガイドさん 添乗員さん ありがとう。

  海ほたるの建物の上部    掘削機のモニュメント    千葉袖ヶ浦方面を望む


【平成13年8月29日掲載分】

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