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2004年9月26日 (日)

 日独伊三国同盟(1)

 「今日は何の日」で 過去の出来事を調べていたら 1940年(昭和15年)9月27日は 日独伊三国同盟が結ばれた日だそうだ。何となく知っていたつもりだったが 日本が世界大戦への関係を決定づけた「日独伊三国同盟」に至る経緯は全く知らなかった。98/10/29 読売新聞朝刊の記事に詳しく載っている。意外な内容なので全文転載しよう。記事が長いので 2回に分けて。

 1940年9月 日本と世界大戦との関係を決定づける日独伊三国同盟が結ばれた。この同盟はそれまで別々の問題だったアジアと欧州の戦乱を一つに結びつけ ニュルンベルク及び東京の国際軍事裁判の際は 日独伊による「共同謀議」の結実とされた。同盟締結は 日本が「自由主義陣営の敵国」と明確に認識された瞬間だった。マスコミは 同盟締結を「帝国の画期的新外交」と高く評価したが その効果を危惧(きぐ)する声も少なくなかった。

 海軍は「英米を敵に回す形での同盟には絶対反対」との姿勢を崩さなかった。枢密院顧問官の石井菊次郎も 日独防共協定があるにもかかわらず ドイツが日本に無断で39年に独ソ不可侵条約を結んだことを挙げ「(ヒトラーは)国際条約を一片の紙切れとみなし まったくこれを重んじていない」と同盟の将来に懸念を示している。

 少なからぬ反対がありながら 同盟締結に踏み切ったのはなぜか。三宅正樹・明大教授は「同盟締結に当たり ソ連を含めた日独伊ソ四国協商構想があったからだ」と話す。40年9月 独外相の特使として来日したシュターマーは 松岡外相に「日本は三国同盟を結んだ後にソ連に接近すべきだ。そうすれば 独ソ不可侵条約を結んでいるドイツは 日ソ交渉で『公正な仲買人』として役割を果たす用意がある」と話し 自分の言葉はそのまま独外相の言葉と受け取ってもらって構わない と保証したという。

 三国同盟は 独伊連携ばかりでなく ソ連との関係改善も可能にする。その結果 ユーラシア大陸を横断する大同盟が生まれ 米国への大きな牽制(けんせい)となって日米戦争も回避できる。さらに 日中問題への英米の干渉も困難になる。松岡の頭には こうしたシナリオが浮かんだのかもしれない。「もし実現していれば 松岡は天才外交家といわれていただろう」(三宅教授)【下へ続く】

【平成14年9月27日記載分】

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 日独伊三国同盟(2)

【上からの続き】

 だが この構想に現実性が多少でもあったのは わずか2か月に過ぎなかった。40年11月には ヒトラーは すでに対ソ戦の決意を固めており 翌年6月の独ソ開戦で その構想は完全に崩壊した。ナチス・ドイツは独裁者の意思で政策が180度変化し 外相の保証でさえ あてにはならない国だった。石井が指摘した通りだった。

 また ソ連が連合構想に乗るつもりがあったかどうか 日本側が検証した形跡がほとんどない。さらに日本政府は独ソ不可侵条約の脆弱(ぜいじゃく)さにも気がつかなかった。「三国同盟は 日本にとってはデメリットしかなかった。独ソ開戦で四国協商構想が崩壊した時点で 日米交渉妥結のために同盟を解消すべきだった」と三宅教授は話す。三輪宗弘・九州共立大講師に至っては さらに辛辣(しんらつ)だ。「シュターマーは 日ソ間の調整としか言っておらず 四国協商構想も回想で語られたものばかりで当時の一次史料はない」とし 「四国協商構想など最初からなかったのではないか」という。

 また 近衛首相と松岡外相に対しても「外相時代の松岡の発言は矛盾と支離滅裂の連続。松岡の外相起用は 近衛が 奇策を弄(ろう)する奇人に飛びついたに過ぎない」と手厳しい。近衛文麿は戦後、「只(ただ)少くとも同盟締結後約1年有余米国が参戦しなかったという事実は 三国同盟の効果であるといわれぬ事はない」と弁明している。近衛首相 松岡外相とも発言の真意をくみとりにくい人物。2人が目指したのは 壮大な同盟構想だったのか それとも 思いつきの奇策だったのだろうか。

日独伊三国同盟とは
〈1〉日本は独伊の欧州での新秩序建設に関し指導的地位を認める。
〈2〉独伊は 同様に日本の大東亜での指導的地位を認める。
〈3〉3国のいずれかが 欧州 日中の戦争に参入していない国に攻撃を受けた場合 相互に援助しあう。
・・・などを内容とした。自動参戦条項はなく 欧州での戦争に日本は介入しなくてもよいと考えられた。

ベルリンでの三国同盟調印式は 来栖駐独大使 チアノ伊外相 ヒトラー独総統で行われた。

【平成14年9月28日記載分】

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2004年9月17日 (金)

ユネスコ協会連盟の招待は何の為

「上を見れば限(きり)がない 下を見ても限がない」という言い方が有る。今の自分の境遇は ある程度満足すべきだと云う事だ。

 A君は中学生 父は銀行員 母は地域のボランティアで活躍している。生活レベルは 中の上といった所か。A君と同じクラスにB君がいる。B君は 母と2人暮らしで 病弱な母のパートと内職の僅かばかりの収入で生活を維持している。B君の生活レベルは 持参する弁当の内容でもわかる。

 A君が B君のことを母に話したら 一度夕食に招待しようという事になった。A君の母は日頃の腕をふるいご馳走を振る舞った。B君は美味しそうに食べ 大変ご馳走になった礼を述べ帰った。B君は後で次の様な事を別の友人に言ったそうだ。「母は一生懸命やっているので文句は言えないが 食事の度に貧乏が身にしみて情けなくなる」

 上の文はフィクションだが 下の文は事実である。日本ユネスコ協会連盟は 何の目的でアフガニスタンの中学生を招待したのか理解出来ない。私なら かかる費用分を復興のために金で寄付する。

 アフガニスタン・首都カブール市内の中学に通う女子2人と男子2人 引率の先生2人の計6人を日本ユネスコ協会連盟が日本へ招待した。生まれて初めて東京を訪れ 都内の中学校や水族館を見て回った。

 強い印象を残したのは 夜歩いた渋谷の街。「日本では男も女も髪が長かったり 短かったり。あの人たちは男か それとも女なのか」中学生らしい男子グループを指さしてカイス君(13)が首をかしげた。

 墨田区の本所中学校では 科目ごとに別の先生が教えることに驚いた。サイダさん(14)が通う学校では 理科室や音楽室はおろか 照明や黒板も足りない。教師の人数も十分ではない。本所中学の生徒と一緒に給食のカレーを食べたモビナさん(14)は「アフガンでは教育の普及に反対する連中が学校に爆発物を仕掛ける。安心して勉強できる日本がうらやましい」と話した。

 引率した教師ラヒマさん(30)は 恵まれた日本の学校を見て涙を流した。「カブールで毎日懸命に勉強し 男の人に負けないよう知識を身につけようともがいても 私の頭には残らない」同行したユニセフ職員に「1年前に結婚したが 夫は1カ月後に爆撃で急死した。その衝撃から立ち直れない」と打ち明けた。

 一行は名残惜しそうに成田空港を後にした。空爆開始からちょうど1年の日だった。

【平成14年10月10日記載分】

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2004年9月12日 (日)

 9.11追悼番組を見て思う

【平成14年9月13日記載分】

 3,000人以上の人命を瞬時に奪い 世界を震かんさせた米同時多発テロ。同時多発テロから1年目に当たる11日 世界貿易センタービルが破壊されたニューヨークを中心に 全米各地で追悼式典が開かれた。日本でも 11日から12日にかけ TVの特集を交え また新聞の記事で この報道一色だった。その中で 11日夜 4CHの「0911・カメラはビルの中にいた」は たまたま消防士のドキュメントを撮ろうとカメラをまわしていたカメラマン兄弟が写した生々しい映像で見応えのあるものだった。

 全く普通に仕事をしている、生活をしている人間が 突然テロの犠牲に遭う。私は如何なる理由が有ろうと この様なテロを許す事は出来ない。しかし「テロにも一理有り」といった発言をする人々が居る。それが間違いであっても 狂信的教育を受けて洗脳された テロの当事者が言うのなら まだ理解出来る。それが 国会議員であったり 弁護士であったり 有名な文筆家と 少なくとも知識人と思われている者が 平気でテロが起きる必然性を発言するのを聞くと その連中の狭い世界観と 人間を思いやる事が出来ない 寂しい心を 私は軽蔑する。

 富める国と貧乏な国 強い国と弱い国 主義主張の違い 体制の違い 宗教の違い・・・。国と国の摩擦が起こる要素はいくらでも有る。しかし それを解決する方法は 一般の善良な市民を無差別に殺す テロ行為ではないし テロであってはならない。それらの共存 共栄を 血を流さず平和的に解決する方法を考え実行するのが 知識人と言われる連中の役目だろう。ただ「米国同時多発テロの原因は 米国にも有る」という言葉、私はその様な言い方に賛成出来ない。

 摩擦の原因の一部が米国に有ったとしても その解決策が テロで有ってはならない。無差別殺人のテロ行為は 話し合いでの解決に背を向けるばかりだろう。「その様な状況ではテロが起きてもやむを得ない」などと言う様な連中には 自分の家族 パートナー 友人達が テロの犠牲になっても 同じ事が言えるのかどうか 試してみたくなる危険な衝動さえ感じる。

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2004年9月 7日 (火)

 外務省は仕事をしろ

【平成14年9月20日記載分】

 役人のやり方を見ていると 国が有って国民が居る。国が良ければ国民も良いはずだ。という対応が見え隠れする。そうではないだろう。国民が居るから国が形成されていて 国民の一人一人の問題が集まって 国の問題となっているだろう。一人一人の国民の問題が片付けられないで 国の問題が片付く訳がない。国民の一人一人の痛みから目をそむけ アバウトな方向にばかりに目を向ける。そんな役人のものの見方は間違っている。

 北朝鮮のら致問題は 一人一人のら致目的 ら致状況 ら致後の北朝鮮での生活 死亡したとされる人達については その原因及び状況 等を明確にし 遺族及び当人に対する補償 謝罪 北朝鮮のら致実行責任者の処罰も含め 全て解決するまで 北朝鮮への経済援助など有り得ない。人間を 誘拐・ら致し 監禁し 殺したと思われる犯罪集団に なんのとがめも無く援助する事など 誰が見ても間違っている。国民が受けた凶悪犯罪の被害は国が解決しないで誰がやれるか。

以下 9月20日付・読売新聞 編集手帳より

 『見倒(みたお)し屋なさけを知って不如意なり』という古い川柳がある。「見倒し屋」とは 相手の足もとを見透かして二束三文で買いたたく古着商をいう。同情していては商売にならない。拉致(らち)被害者の死亡年月日を 外務省は家族に隠していた。外務省に情報をすがるしかない相手の弱い立場を見透かしての非情。国交正常化交渉の“商売”に支障が出るのを恐れての非情。もしそうならば当世「見倒し屋」と呼ぶほかはない。

 有本恵子さんと石岡亨さんは88年11月の同じ日に死亡していた。2人が北朝鮮にいることを告げる手紙が石岡さんの実家に届いた2か月後にあたる。北朝鮮の邪悪な意思がにおい 慄然(りつぜん)とさせる日付である。正常化交渉という大商談をまとめるには 対・北朝鮮感情がこれ以上悪くなるのは望ましくない。大商いの前の小商い 被害者家族の心情は安く見積もられ 死亡年月日の情報は伏せられた…。

 外務省はそう勘ぐられても仕方がない。「たった11人のことで交渉が止まっていいのか」…。以前 外務省幹部の発言が物議を醸した。藁(わら)にもすがる家族の心を逆なでした情報隠しの背後からも 同じ声が聞こえてくる。「情報」とは「情けに報いる」と書く。人の心の悲しみ 痛みを我が身に重ねられない商売大事の「見倒し屋」に 情報を扱う資格はない。

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2004年9月 2日 (木)

 曲がらなければ立てないのか(1)

【日経新聞 社説 丸写し 2回に分けて】

 「商人と屏風(びょうぶ)は曲がらねば立たず」 身分制度の差別のもとで 商人が卑しめられた江戸時代初めから中期に こんなことばがけん伝された。非道な商いをしなければ商人はやっていけない また商人とはそういうことを平気でする人間だ というわけだ。BSEに絡む偽装牛肉問題を起こした日本ハム 国後島での不正入札問題の三井物産 原子力発電所のトラブルを隠した東京電力など 最近の企業の行動を見ると 江戸時代のことばどおりではないか と半ばあきれる。

 顧客満足や安全と信頼の確保などはお題目 もうける機会が転がり込んできたら見逃す手はない 手段を選ばずもうけを増やす道を探るのが企業だ という振る舞いだ。ニューエコノミーに舞い上がった米国の企業でも強欲な経営がまん延し 経営モラルの低下が起こっている。破たんしたエンロンやワールドコムをはじめ有力企業が 高株価を維持するため利益をごまかし 支えた株価をてこに経営者などが巨額のストックオプション益を手にする。飽くなきリストラを実行し 同じ手で一般従業員の何百倍もの報酬を得ても平然とする。

 江戸中期に長崎で活躍した町人学者 西川如見は こんな商人べっ視に強く反発した。商人の心得を説いた著作「町人嚢(ちょうにんぶくろ)」で屏風の精を登場させ こう言わせている。曲(ゆが)めて立てるは我が心にあらず。延ぶと縮むとこそ 我が徳用なれ。さりとて強いて開き延ぶる時は片時も立ち難し。また縮むこと過ぐれば なお立ち難し。延ぶと縮むとの中道を得る時は久しく立ちて危うからず。その上立つ場所 平に正しく立てざれば覆り倒れる」

 屏風を強引に開ききっては立てることができない。逆に一枚の板のように閉じ合わせても立てられず 役に立たない。ちょうどよい加減に開くと立ち その調節ができるのが役にも立つ理由だ。商売も同じで暴利をむさぼってはいけないし 全く利益が無くてもやっていけない。適正な利益のもとで初めて永続的にうまくやっていける。およそ こういうことだろう。しかも 肝心なのは屏風を立てる場所が平らなことだ という。つまり現代企業に当てはめると 利益を追求する手段が正当であり 経営基盤になるコーポレートガバナンスや倫理観がしっかり確立している必要がある といっているのだろう。【下へ続く】

【平成14年9月17日記載分】

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 曲がらなければ立てないのか(2)

【上からのの続き】

 公害垂れ流し、談合、贈賄、総会屋問題など 様々な不祥事を契機に多くの企業が行動憲章を制定し 経済団体も企業倫理の順守を会員企業などに求めてきた。正しい事業展開のありようを求めて社外取締役制度の導入 経営監視と執行の分離 意思決定の権限と責任の明確化などガバナンス改革も進み始めた。それでも不祥事や消費者に対する背信行為が絶えず 産業界の指導的立場にある日本経団連の中枢会社までルールを踏みにじる。内外に対して日本企業全体の信用を著しく損なっている。

 米企業がITバブルの崩壊の後遺症に悩み 立ち直りにもたついている現状は 本来なら日本企業が世界市場で主導権を取り返す好機だ。それが自壊を促しかねない稚拙な経営で経済再建の求心力を失わせるようではとても国民の信頼を得られない。それどころか いつまでも米国に追いつく競争力も回復できず 中国企業の台頭に脅かされて近視眼的な対応に右往左往するだけだ。

 株式会社が利潤をあげ 株主に報いることを使命とする組織であることは論を待たない。しかし それが最大の存在理由だとしても100%それだけで存在しているのではない。従業員 顧客などを含めた利害関係者との共存の中で発展してきた以上 社会的な規範に従い 社会的な機能を果たさなければならないのも当然である。もうけるために手段を選ばない 経営効率を挙げるためにはルールも無視するでは 企業紹介パンフレットなどに麗々しくうたった経営理念に恥じないか。反社会的な行為をして恥じない企業や経営者は 西川如見から約300年を経た今でも「商人と屏風は曲がらねば立たず」というのだろうか。

 業績回復のためにコスト削減 事業の集中と選択など企業は脇目も振らずリストラに走っている。こんなときに企業の論理が暴走しやすい。営々と積み上げてきた企業の声価も崩れるときは一瞬のうちだ。はやりに流されず 愚直に企業倫理の基本を押さえておくことが何よりも肝心である。経営をしっかり監視するシステムを整え なぜ自らの会社が社会的に存続しているのか 常に経営理念を反すうしてみるべきだ。

【平成14年9月18日記載分】

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