日独伊三国同盟(1)
「今日は何の日」で 過去の出来事を調べていたら 1940年(昭和15年)9月27日は 日独伊三国同盟が結ばれた日だそうだ。何となく知っていたつもりだったが 日本が世界大戦への関係を決定づけた「日独伊三国同盟」に至る経緯は全く知らなかった。98/10/29 読売新聞朝刊の記事に詳しく載っている。意外な内容なので全文転載しよう。記事が長いので 2回に分けて。
1940年9月 日本と世界大戦との関係を決定づける日独伊三国同盟が結ばれた。この同盟はそれまで別々の問題だったアジアと欧州の戦乱を一つに結びつけ ニュルンベルク及び東京の国際軍事裁判の際は 日独伊による「共同謀議」の結実とされた。同盟締結は 日本が「自由主義陣営の敵国」と明確に認識された瞬間だった。マスコミは 同盟締結を「帝国の画期的新外交」と高く評価したが その効果を危惧(きぐ)する声も少なくなかった。
海軍は「英米を敵に回す形での同盟には絶対反対」との姿勢を崩さなかった。枢密院顧問官の石井菊次郎も 日独防共協定があるにもかかわらず ドイツが日本に無断で39年に独ソ不可侵条約を結んだことを挙げ「(ヒトラーは)国際条約を一片の紙切れとみなし まったくこれを重んじていない」と同盟の将来に懸念を示している。
少なからぬ反対がありながら 同盟締結に踏み切ったのはなぜか。三宅正樹・明大教授は「同盟締結に当たり ソ連を含めた日独伊ソ四国協商構想があったからだ」と話す。40年9月 独外相の特使として来日したシュターマーは 松岡外相に「日本は三国同盟を結んだ後にソ連に接近すべきだ。そうすれば 独ソ不可侵条約を結んでいるドイツは 日ソ交渉で『公正な仲買人』として役割を果たす用意がある」と話し 自分の言葉はそのまま独外相の言葉と受け取ってもらって構わない と保証したという。
三国同盟は 独伊連携ばかりでなく ソ連との関係改善も可能にする。その結果 ユーラシア大陸を横断する大同盟が生まれ 米国への大きな牽制(けんせい)となって日米戦争も回避できる。さらに 日中問題への英米の干渉も困難になる。松岡の頭には こうしたシナリオが浮かんだのかもしれない。「もし実現していれば 松岡は天才外交家といわれていただろう」(三宅教授)【下へ続く】
【平成14年9月27日記載分】
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