東京地検特捜部(1)
東京地検に特捜部の前身「隠退蔵事件捜査部」が設置されたのが1947年(昭和22年)11月10日だそうだ。検察独自捜査の土台が築かれた戦後の疑獄 特捜史上最大の規模のロッキード事件 近年のバブル崩壊後の一連の議員にまつわる事件……巨悪を追い続けた特捜部は 57年前誕生した。面白いので読売新聞から転載。
特捜部の特色である検察独自捜査は 1948年の「昭電疑獄」で戦後の第一歩を刻んだ。東京地検特捜部の前身「隠退蔵事件捜査部」が発足した直後の時期だ。戦後のドサクサに横流しされた隠匿物資の摘発部門が「最強の捜査機関」へ成長する分岐点となった事件の現場には 2人の検事がいた。東京地検次席検事 馬場義続(よしつぐ)氏。そして元海軍主計中尉の経歴を持つヒラ検事 河井信太郎氏。この2人を中心に 復興金融金庫から昭和電工へ化学肥料生産のために流れた多額融資疑惑の解明が進んだ。
帳簿の分析から昭和電工が広範囲の政官界工作を行っていた事実が判明。事件は大蔵省 商工省 政界へと拡大し 芦田内閣は総辞職に追い込まれた。贈収賄罪などで計60数人を逮捕 37人を起訴 政界では芦田均前首相をはじめ国会議員8人が起訴された。昭電疑獄は「政・官・財」に根を張る汚職構造を暴き出した。この構造腐敗がその後 特捜部の標的となった。
この事件後まもなく 隠退蔵事件捜査部は「特別捜査部」と改称され 馬場氏は以来「特捜部生みの親」と呼ばれる。一方 河井氏は「数字に強い特捜」の流れを確立した。ただ 裁判の結果は芳しくなかった。計12人が無罪となり うち政治家は芦田前首相をはじめ5人を数えた。政治家についてはいずれも現金の授受は事実と認定されたが わいろの趣旨を否定されるなど 贈収賄罪立件の壁を浮き彫りにした。芦田前首相は外相時代に行った蔵相への働きかけが問われたが 判決はそれが「職務権限」には当たらないとした。
これをきっかけに 報酬を得て行われるあっせん行為に対する世論の批判が高まり 58年 刑法に「あっせん収賄罪」が加えられた。この規定は 参院議員が国会質問の取りやめを他議員に依頼した68年の「日通事件」や 公取委に対する刑事告発の断念要請が問題となった94年の「ゼネコン汚職政界ルート」で生かされる。特にゼネコン汚職では 捜査の手が及ばないとされてきた族議員の口利き行為が裁かれ 戦後まもない時代の疑獄の遺産が役立った。【下へ続く】
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